猫石雄国沼と猫石
猫魔ヶ岳の伝説・信仰

猫魔ヶ岳の山頂から登山道を西方へ20分ほど進むと、雄国沼を見下ろす場所に「猫石」と呼ばれる安山岩の巨大な岩がある。方向によっては、大きな猫に大岩が覆いかぶさっているようにも見え、その昔、弘法大師がその法力によって化け猫を調伏(ちょうぶく)(※1)した姿ともいわれている。

江戸時代後期の『新編会津風土記』(※2)には、「磐梯山の西にあって高さは九十丈(約270m)周囲は二里(約7,850m)を計る。むかし猫又(ねこまた)が棲んでいたのでこの名が付いた。北の方に猫石という畳のような大石があって、その下には草木も生えず、掃除したように塵も埃もない。これは猫又が棲んでいたからである。」とあって、猫又の伝承を伝えている。一般に猫又とは日本の民間伝承や古典の怪談・随筆などにみられる猫の妖怪を指し、大別すると山の中にいる妖獣と、人家で飼われている猫が年老いて化けたものの2種類がある。日本各地にその伝承が伝わるが、猫魔ヶ岳は猫又伝承がそのまま山の名前になっている点でも珍しい。

我が国における化け猫伝承は鎌倉時代頃に起源を有するという。例えば、1254(建長6)年に成立した鎌倉時代の説話集『古今著聞集』には、奇妙な行動をとる猫を指して「魔物の変化したものではないか」と疑う記述が見られる。さらに、この頃の古い化け猫の話には寺院で飼っていた猫が化けたなど、寺にまつわる奇譚(きたん)が多いことも特徴だが、これは仏教の伝来にともない経典をネズミにかじられることを防ぐために、猫が一緒に輸入されたことが理由の一つと考えられている。猫魔ヶ岳はまさに慧日寺(えにちじ)の北側奥の深山にある。僧や修験者にとって、霊峰磐梯山やその西に連なる猫魔ヶ岳などの山々は格好の山岳修行の場であったことはよく知られており、山中の奇岩・巨岩は霊験あらたかなるものでもあった。慧日寺がその名称の成立に深く関係していたことは大いに考えられる。

ところで、江戸時代に入ると、化け猫の話は各種の随筆や怪談集に数多く登場するようになる。猫が人間に化ける話や人間の言葉を喋る話は『兎園(とうえん)小説』『耳嚢(みみぶくろ)』『新著聞集』『西播(せいばん)怪談実記』などに、猫が踊る話は『甲子(かっし)夜話』『尾張霊異記』などに見られる。例えば珍談・奇談を集めた随筆『耳嚢』には、どの猫も10年も生きれば言葉を話せるようになり、狐と猫の間に生まれた猫は10年も経たずとも口がきけると記されている。

このように、化け猫の怪談は江戸時代に至り全盛期を迎え、有名な「鍋島の化け猫騒動」などが芝居で上演されたことでさらに広く知れ渡っていった。釣り上げた魚目当てに老女に化けた雌猫を桧原村の郷士(ごうし)が斬り殺したため、山の主たる猫王はその奥方を食い殺して樹上に吊し復讐。怒りの郷士が宝刀で妻の仇を討つというあらすじの猫魔ヶ岳の伝承も、恐らくこのような時代を背景として生まれてきたものであろう。

※1 調伏(ちょうぶく)・・・心身を整え、悪行や煩悩などを除くこと。

※2 新編会津風土記・・・1803(享和3)年から1809(文化6)年にかけて編纂された会津領内に関する地誌。会津藩の官選によるもので、全120巻。完成後江戸幕府に上進された。

新編会津風土記『新編会津風土記』に描かれた猫石(大判龍子氏蔵)
猫魔嶽のお札かつて磐梯神社で発行していた猫魔嶽のお札